自分の感性に合ったパッティングタイルとはどんなものを想像すれば良いのでしょうか。パッティングの方法には、「絶対」といえるものは存在しないのが他のゴルフスイングとは違って厄介なのです。
少なくとも断言しても良い部分として残るのは、個人の感性を生かす打ち方をマスターすることこそが重要だという点くらいでしょう。
パッティングは科学だけでは解明不可
ゴルフというゲームの原型が誕生してからすでに何世紀も経過しているというのに、パットに関する技術論や方法論は、未だ完全なものが存在しているとはいえません。
その点が、パットをよりいっそう神秘的な存在として認識されているのでしょう。
パット以外のゴルフスイングに関しては、正しい打ち方とかミスを防ぐ方法など、単純に経験に基づく技術的な部分ばかりではなく、科学的もしくは人間工学的と言っても良いのでしょうが、ほぼ解明されているのかもしれません。
具体的には、飛距離を伸ばすための工夫だったり、スライスやフックなどのように曲がる軌道を修正して打つにはどうすればよいかという問題につてもしかりです。
それぞれの体力やゴルフスイングの癖に応じて合理的に修正するための具体的方法は既に確立されていると言っても良いくらいのレベルに達していいます。
しかし、ことパッティングに関してだけは、未だ闇の中を彷徨っている状態といってもよいくらいのものです。
たくさんのアマチュアゴルファーを指導する立場にあるレッスンプロでも、パットに関してはそう変わりは無いような気がします。
場合によっては、ほぼビギナーレベルのゴルファーが何も考えずにポンと打ったロングパットが入っることもあります。
あるいは、思わず笑い転げそうな風変わりなフォームで打った人のパットなのに、転がり方も素晴らしくカップインしたり例もあるものです。
そんなシーンを何度も見ていれば、「パットとは一体どうすれのが正解なのか」と呆然自失になることがあるかもしれません。
パッティングには、こうすべきだという方法もなければスタイルも存在しないということ実感させられることもしばしばあるのではないでしょうか。
プロゴルファーの間でも、パットはほとんど自分のカンを頼りに打っている人だっているのかもしれません。
それがいつの間にか、パット名人と呼ばれてアマチュアゴルファーの指導をするようにまでなり、重心の置き方やバックスとロークの方法などを質問されるようにいつの間にかなるようです。
ところが、特に意識せずに自然体でアドレスして、ストロークしていた人が、フォームや方法を理論的に考えはじめて、言葉で表現しようとしているうちに、自分本来の動きがわからなくなってしまうこともあるようです。
自分の感性を優先する
このような話から考えてみても、パッティングは本当に微妙なもので奥が深いですし、簡単に本質を突き詰められる性質のものではありません。
しかし、いつまでもそれでは、スコアメイクの改善は期待できません。どうにかして自分なりのコツを見つけて、パット名人と呼ばれるゴルファーのレベルに少しでも近づけるように努力する姿勢は必要なことです。
それが叶う現時点での絶対的な方法は、自分の感性とパッティング・スタイルをマッチさせるということかもしれません。
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しかし、感性というものは人それぞれに個性があり違ったものです。
それぞれの感性をパッティングに生かすこと、磨き上げることによってそのままパットの上達につながっていくのでしょう。
たとえアマチュアゴルファーでも、T・ウッズをも上回るパッティングの感性の持ち主が中にはいるのかもしれません。
自分の中に優れた感性を見つけるための努力をすることから、パッティングの練習がスタートするのではないでしょうか。
失敗するのは自分の感性をおろそかにしてしまい、フォームや打法にとらわれすぎるということが原因だったという人もいます。
まずは、自分の感性がどのようなパッティング方式とマッチングしやすいかを、見つけることから始めましょう。
それが発見できるための手引き、すなわちアドバイスとして、体験から得たパッティング論というものがやっと少しあるのだというのが現状での限界でしょう。
パッティングスタイルは個性と感性
ボールを上から打つ人、振り子のようなストロークでパタークラブを振る人といった具合に、パッティングスタイルはひとそれぞれです。
肝心なことは、自分の意思でしっかりとボールを転がすという姿勢かもしれません。
タップ式と呼ばれる打ち方の代表的な存在は、例えば青木功プロですが、パッティングで世界のトッププロに名をとどろかせました。
両腕を大きく曲げてストロークするパッティングの代表は、杉原輝雄プロが有名ですが、そのパットの妙技は誰も追いつくことができないほどのレベルでした。
このようにパッテイングスタイルは個性で感性を磨き上げた結果にやっと固まってくるものなのかもしれません。